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 仮称 志賀浩二先生の数学教育とゆかいな仲間たち

 

 適塾よこはまは、令和6年3月末をもって9年2ヶ月の学習塾の活動を終了しました。
 上記、電話番号・FAXは使用できません。ただし、「お問合せ」のメールアドレスはそのまま使用可能です。記入文面等のテンプレートは無視して、内容欄に文面及び末尾にお名前年齢等を付記していただければ、返信いたしますのでご利用ください。



今後このHPでは、日本の数学教育の啓蒙者であると私が尊敬する東京工業大学名誉教授志賀浩二先生が目標とした「若者の知的好奇心を喚起する数学教育」活動や先生が東工大早期退官時からコロナ禍前まで、特に気にかけていた「無限」に関する思いや「数学における概念の意味」などを中学生・高校生にもなるほどそうだったのかと理解でき、そこからそれぞれのイメージを膨らませることができる数学教育に関する啓蒙活動を、友人・知人、賛同していただける方々の力を借りて情報発信の場とするため、上記仮称のもとで運営していきます。
 賛同して協力していただける有志の方々と毎月1回例会を兼ねた研究会を行っております。現在HPの切り替えや記事等などで十分な対応ができない状態ですが、徐々に改善していくつもりで頑張っております。温かい目で見守っていただければ幸いです。意見や要望等のある方やご質問のある方は当面「tekijuku-y@cream.plala.or.jp」宛メールいただければ、対応できますのでよろしくお願いいたします。
 このHPを主宰する私と志賀先生との関わりや志賀先生が目指した数学教育に対する考えを、24年間傍で薫陶を得た私とそのゆかいな仲間たちが、今後少しずつ連載方式でページに載せていきます。ご意見ご感想等をいただければ幸いです。
 このHPを目にする機会がありましたら是非ご一読いただき、志賀先生の数学教育に関してご意見・ご感想、あるいは過去の志賀先生に関する思い出などをお知らせいただき、HP運営にご協力いただければ幸いです。

(新着情報)
(1) 数学セミナー5月号特集「あの頃に出会った本・出会いたかった本」のコーナーに、志賀先生の「○○への30講」シリーズに関する思い出を芝浦工業大学システム理工学部教授の竹内
慎吾先生が寄せられています。その中での思い出として志賀先生が数学啓蒙書を執筆されるときのテーマとして私に話された、数学を学ぶときに「大木を見て森を知る」という発想を持つことの重要性に触れられていました。真意を読み取っておられたことに感銘を受けました。文中で「竹内先生が学生の頃にお風呂で30講シリーズを読んでいて心地よさにうっかりして湯船に落としてしまったことを数学セミナーの記事にかいたところ、志賀先生から近刊の著書と自筆の手紙が入っていて驚いたということも書かれています。他にも併せて12人の先生方それぞれの出会いにまつわる内容の記事が書かれていますので、是非ご一読して私もという共感を持っていただけたらとご紹介させていただきます。
追伸 竹内先生とは5年前に志賀先生の「大人のための数学」シリーズをゼミの授業に使いたいので、その了解を取ってもらえないかという連絡があり、私が志賀先生に連絡して快諾いただいたご縁から交流させていただいております。志賀先生のご逝去についての連絡もご家族のご了解を得て私がさせていただきました。今後も、竹内先生のお手すきの折に私たちから数学教育に関するいろいろな事柄についてアドバイスをいただきたいと思っています。
竹内先生には特に、志賀先生が2年前まで私によくおっしゃっていた3つの事柄「数学から概念がなくなってしまった」、「東工大早期退官の理由であるとおっしゃった無限がわからなくなった」、「若者の知的好奇心を喚起したい」などについての助言などいただけたらと思っています。

(2) 数学セミナー5月号を読んだ方だったのでしょうか。千葉県の73歳の I さんから、竹内先生が寄稿文の中で触れた志賀先生の「○○への30講」シリーズの思い出を切々と語られたメールが届きました。竹内先生が具体的に上げられた「位相/複素数、ルベーグ積分、固有値問題」の30講にも共感されておられました。ご自身でも次のようにお話しされております。私
は志賀先生の「〇〇30講」の大ファンです.おそらく全ての講義を読んでいると思います.学生時代には微分幾何学関連(現代数学への招待―多様体とは何か―)の本も読みました.私,理系(物理)とは言え数学は門外でして,理解力の貧弱さの故,多くの科目で腑に落ちないことばかりでしたが,この30講で救われたことが多々あります.中でも「ルベーグ積分30講」と「固有値問題30講」には顕著なものがあります.
 その固有値問題30講には,第15講の閑談(Tea time)に,次のようなことが書かれていました:

 「古いが竹内端三の著書に積分方程式論がある.これはすでに古典であろうが,すぐれた解説書と思われるので,現代的な言葉づかいに直してもう一度世に出されても良いのではないかと思う.」

既に遠く昔に読み,完全に忘却していましたが,あるきっかけで3年前にこれを再読し,2022年10月に某出版社から「現代語訳 積分方程式論」として自費出版しました.そして志賀先生のもとに,拙訳「積分方程式論」をお送りしたいと考えましたが,住所(知る術がなく)などの関係から果たせませんでした.残念です.

追伸 実は志賀先生がなくなる1ヶ月くらい前に、私の桐蔭学園時代から現在まで懇意にしている同僚の紹介で、東北大学理学部数学科修士修了でお父さんの関係でポーランドに縁のある方でポーランド学派に関する訳書などをシュプリンガーから出版、志賀先生・砂田先生との交流の中でバナッハ・タルスキ―のパラドックスなどの翻訳なども行っていたのですが、大きな誤りがあって志賀先生に怒られて自宅まで謝罪に行ったそうです。現在千葉県で闘病中のTさんですが、「多様体の幾何学」の訳本を志賀先生に読んでもらっておわびしたいと思いながら病気になり果たせずに来たのですが、何とか見ていただきたいというご希望を受け、何人かの友人知人を介して私のところに連絡があり、本が送られてきました。ご家族と私の想いから、志賀先生の容態を離せずにいたのですが、亡くなる1週間前に私が病院に伺った際、ご家族の同意を受けて枕元に置かせてもらった経緯があります。今思えば、私がもう少し自分の塾の宣伝として上手に志賀先生との関係や取次などができていたら、もっともっと多くの方のご期待に応えられたと申し訳ありませんでした。
追追伸 取次の関係では、6年ぐらい前に韓国の方から私に連絡があり、志賀先生に一言数学に関わることで相談したいということで、版権の問題もあったので岩波書店を通して志賀先生にお話ししたこともありました。

(お願い)
 このHPを読まれた方で、志賀先生にまつわるいろいろなこと、経験などがあればぜひ投稿して教えていただきたいと思います。将来1冊の本・冊子にまとめられたらと考えています。
 特に、志賀先生と一緒に桐蔭学園中等教育学校で教え始めたときに、桐蔭学園主催の数学シンポジュウムが開かれました。その時に日本数学会の会長と京都大学理学部数学科教授の上野健嗣先生が対談しましたが、上野先生を送って新横浜駅に行ったときに、上野先生曰く「志賀先生はとっても厳しい先生だから注意しなさい。けれど今日見ていると君は剣道をやっているせいか間合いがいい」とほめられたことを思い出します。ご家族とのお付き合いの中でも「父はとても厳しくて … … 。あまり仕事のことは話してくれませんでした。ですから、適塾よこはまの記事を読んでこんなにたくさんの人から共感を得ていることを初めて知りました」とも言われました。そんなことから、志賀先生の厳しさなどを経験した方(特に東工大で先生の授業や指導を受けた方など)から是非当時の志賀先生のお姿に関する情報をいただければと考えています。一人の人間としての志賀先生の姿を知りたいなと思っています。よろしくお願いいたします。

 

今、このHPで取り組んでいるのは、志賀先生の東京工業大学を早期退官された最大の理由である「無限がわからなくなった」という言葉の意味や「無限に関する志賀先生のとらえ方」、その原点であるカント―ルの「集合論」(ダイナミズムと選択公理)、その延長線上にあると私が考えているポーランド学派、特に「バナッハ・タルスキ―のパラドックス」までをつなげた、志賀先生が見ていたもの、見えていたものを知的好奇心を喚起することの大切さにつなげ、志賀先生の数学教育観を高校生に伝えられる書物を作り上げたいと、力を貸していただける友人や知人他の皆さんとまとめあげるため頑張っております。私が適塾よこはまを閉じた理由の時間確保と細々と続けている非常勤講師の理由の金銭的確保がこれです。
(注) まとめたいのは、専門的に粛々とした誤謬性のない議論の組み立てを基にした書物ではありません。中学・高校生の皆さんの知的好奇心を喚起することを第一義に、読んでいてワクワクするダイナミズムの感じられる書物です。志賀先生の著書(志賀先生と奥様曰くー100冊あるそうです)を読んでいただければ、わかっていただけると思います。私の感覚では、東京工業大学名誉教授のお二人である「遠山啓先生の無限」と「志賀先生の無限」(同じ出版社から出ています)を読み比べてみると何を目標にしたものか何を伝えたいかの違いが鮮明になるでしょう。どちらが数学的に評価されるかを論じたいのではありません。
 中学・高校生に数学のダイナミックさや面白さを感じてもらい興味関心をもって取り組んでもらうためにはどうすう視点をもてばよいかを、著者の意図などから読み取ることで知的好奇心の喚起に向けた議論が成立するのではないでしょうか。遠山先生にはこのように対比して失礼になるかとは思いますが、この点ご容赦ください。

 

 

 新しい教育観に立つ大学入学試験・共通テストが現高2生から実施されます。私自身もある中高一貫校で数学を教えていて、共通テストの数学の試験内容以上に新学習指導要領の狙いを読み取ると、数学を通して考える力を育て、帰納的な想像力を通して真偽が定かでない物事を自由に発想して確かめる柔軟で柔らかな心を想像する基盤に立たずに、目の前の事象に対して処理能力を問題にする統計学の勉強に終始させるという視点だけが突出していて、もはや「数学の授業で数学でないものを学ばせる」ことに尽きていることを強く感じます。
 これは大学で数学を教えている先生方はもとより、実際に統計学を教えている多くの先生方の感想でもあるようです。一時期、文科省が主導して「ゆとり教育」を主軸に据えた学習指導要領が実施され、轟々たる非難の下で更新の10年を待たずに切り替えが行われたことが想起されます。もっと腹を据えた教育観をもった方が前に出てこないと、日本の数学教育は大変です。
 つい先日、東大に入学して修士課程を修了後某有名企業に2年間勤めた後にアメリカの大学の博士課程で博士号を取得、シリコンバレーの某企業に今年就職した私の教え子と会食した際に、日本での高校までの数学教育の状況とアメリカの状況が話題になりました。その時、わたしが日本ではアイビーリーガーを代表とするアメリカの大学教育の厳しさを話すと、日本の人は実情を知らないままでマスコミその他の話を鵜呑みにしているだけなので、実態を分かっていないと思う。と言われてびっくりしたのですが、もう少しきちんと理解して議論をしないといけないのだなと反省しました。本当にこのまま進んでいって良いのでしょうか。もっと文系といわれる人たちがしっかりと数学を理解した上で議論して欲しいと切実に思います。
 年頭にあたって悲しい話から始まりましたが、私は今、平成13年から現在までご指導をいただいている東京工業大学名誉教授の志賀浩二先生の思い(先生が東京工業大学を早期退職してまでやろうとした根っこの部分)を「無限」を通した考え方を中心に、カント―ルの整列集合から選択公理、そしてポーランド学派であるバナッハ・タルスキ―のパラドックスまでを高校生にもわかる言葉でまとめた小冊子を作成中です。インターネットの皆さんのまとめや友人その他の協力を得て少しずつ進んでいます。志賀先生が100歳になられる前に完成して、感想を聞いてみたいというのが私の夢でした。本当に数学というのは面白くてワクワクする学問ですね。それを伝えるために教え子たちと作った適塾よこはま、9年目の春、志賀先生のご逝去を節目として終了いたしました。
 山中先生にあこがれて京都大学医学部を目指して頑張った教え子ですが、達成できず慶應医学部に進み研修医を終えた今年の春、東大の博士課程に進んだのですが間もなく博士論文を書き上げるという話です。そんなことがあるかどうかわかりませんが、博士号を取れたら素晴らしいですね。ご両親の病気などで本当に苦学して頑張った教え子の一人です。

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