志賀先生の数学教育 ー その3

志賀先生の数学教育 ー その3

分野別冊子№    中等年ゼミ
無限のパラドックスと
      無限の世界
 -哲学的議論から数学的思考へ
  「数学活用」のテキストを使い、普段の授業では
 取り扱えないが、数学的視点で見ると非常に興味・
 関心をそそる内容について、中等年生にゼミ形式
 で解説した内容のレクチャーノートです。
  テーマは、「無限のパラドックス」です。
  ゼノンのパラドックスから出発し、カントールの
 無限の分類、そして実数論の本質デデキントの切断
 を経て、オイラーのゼータ関数までカバーしました。
  私は、君たちの浪漫の水先案内に徹して、この後
 の展開は君たち一人一人の興味関心のうねりに任せ
 ました。港にたどり着くことが目標でなく、海に揺
 蕩う数学の思いを感じて航海することです。
  ボン・ボヤージュってか
  中等4年     組        氏名
 0 はじめに
 1 ゼノンの逆理
 2 無限小数 は何を表しているか
   閑話休題  寄り道をさせて下さい
 3 ヒルベルト・ホテルとカントールの対角線論法
 4 数列の極限から関数の極限へ-数のアウフヘーベン
 5 デデキントの切断
 6 無限に「和?」をとることの意味
 お断り
  カント—ルが集合を通して見た「無限」の世界は、「整列という
 順序性」と「写像による対応」により、「無限」のもつ意味からは
 認めがたい、しかし本質的な「選択公理」を経由して、数学的には
 摩訶不思議な「バナッハ・タルスキ-のパラドックス」へと昇華し
 ていきます。
  東京工業大学名誉教授の志賀浩二先生をして、「無限がわからな
 くなったんです。私が東工大を辞めた理由がそれです」」と言わし
 めた、無限に関して君たちに最も伝えなければいけない重要な部分
 が、この冊子には入っていません。その部分を追加するため、私は
 今一生懸命に、そしてワクワクしながら勉強しています。
  皆さん! 完成するまで、暫時の時間をください。
  数学において、「有限」と「無限」という概念は、本質的な意味をもっています。
  言葉的には、「有限」の延長線上に「無限」を考えがちですが、有限を考えることと
 無限を考えることの間には、弁証法でいう「量から質への転換」といえるべき超え難が
 たいものがあるのです。
  私たちが、大きいもの果てしないものを考えるときにすぐ思いつくのは、「宇宙」の
  大きさでしょう。銀河系宇宙の大きさは、直径約   といわれています。
  肉眼で見える最も遠いアンドロメダ星雲までの距離は、約   だそうです。
  さらに、年の時点で観測しうる宇宙の果てまでは約   だそうです
  また、江戸時代の数学書「塵劫記じんこうき」によると、インドか中国へ伝わった
 とされる大きな数の単位として「無量大数むりょうだいすう   」があるそうです。
  ちょっと想像を絶する数といえます。ところが、もっと驚くことがあります。
  それは、「ねずみ算」という言葉でよく知られている算法です。
  ここでは、ねずみが子供を産むか産まないか……が面倒ですから、次のような米粒
 の問題に置き換えて話します。
  年の元旦、男の子が生まれたお父さんが元気で頑張り屋の子供に育つよう願を
 かけました。子供が生まれた月日米粒を机の上に置き、月日は米粒を、次
 の日は米粒、日は米粒を置いていくというものでした。
  すなわち、毎日その前の日の倍の米粒を置くのです。
  今日は、年月日なので日目に当たります。
  今、机の上には   粒の米が置かれていることになります。
  の常用対数の値は   より
  机の上にある米粒が   個だとわかります。
  ここで、米粒の大きさは長い方で約とすると、     
  もうすぐ、銀河系宇宙の直径の大きさになりますね。ところで、このお父さんの家は
 銀河系宇宙の直径くらい大きいのでしょうか。
  でもそれだけの大きさがあったとしても、この子が才になったときには、銀河系
 宇宙の直径を超えてしまうのです。平均寿命が男子で才くらいだとすると、宇宙の
 果てをさらに突き抜けてしまいます。
  そうかこれが「無限」ということだなと君は思うかもしれません。
  しかし、これは無限の姿ではありません。
  君が、創造できるという範疇は「有限」と考えるべきでしょう。
  「無限」を理解するためには、「論理的な思考」という考え方が必要なのです。
  数学にとっては、当然とみられる「論理的に考える」という視点は、「無限」を捉え
 ようとする過程で浮かび上がってきたことなのです。
  桐蔭学園中等教育学校の創設時の教科書を作った東京工業大学名誉教授の志賀浩二
 先生は、なぜ東京工業大学を早期退職したのですかという私の問いかけに「無限が何か
 わからなくなったので東京工業大学を退職した」といいました。わかりますこの意味。
はじめに
  論理的に正しく考察したはずなのに理解しがたい状況に陥ってしまうような命題を
 「パラドックス」と呼びます。
  テキストにあるように、一見最もらしい議論により導かれるおかしな結論のことです。
  ここで、展開される「無限のパラドックス」については、その背景を理解しないと
 わからないことが多々あります。
  ゼノンは、古代ギリシア時代イタリア学派と呼ばれたピタゴラス学派とエレア学派の
 一方であるエレア学派に属していました。
  年頃南イタリアにあったギリシア植民地の小都市エレアで生まれました。
  その後、哲学者パルメニデスの養子となり、彼の弟子として活躍しました。
  ゼノンは、当時の学問の中心であるアテナイには行かず、彼が愛した街エレアで生涯
 を送りました。質疑応答により知識を探求する「弁証法」の創始者といわれています。
  ゼノンの主な論法は、注 背理法を用いて相手の前提が矛盾に導かれることを示すこ
 とで、その議論を破壊しようとするものでした。
  エレア学派は、ゼノンの義父パルメニデスが創始者で、「感覚される事実を虚妄とし、
 思惟される事実有ることと同じこそ真実」であるというものが学説でした。
  さらに、日常経験からは疑いえない明白な事実「生成、変化、運動、多」を全面的に
 否定しました。
  エレア派の論理は、それまでの哲学の基盤を根本から揺るがし、以後の哲学の歴史に
 新たな局面を開くことになりました。
 時間と空間の無限分割性
  空間は点で構成され、数値としてつの数が存在している。
  そして、これらの点や数は連続的な様相渦巻き状に対応づけるを示すと考えて、
 時間と空間の無限分割性を仮定するところに、ピタゴラス学派の「万物は数である」
 という世界観がありました。
  しかし、ゼノンが属していたエレア学派はこの考え方を容認せず、世界は単一性と
 永続性をもつものだと考えたのです。すなわち、究極のところで得られる「点の存在」
 は認めがたいもので、「直線は点の集まり」であるという考えも否定したのです。
  ピタゴラス学派に対するアンチテーゼが、以下の「ゼノンの逆理仮説」です。
  ① アキレスと亀 - 一歩一歩段階的に近づいていくと考えた場合の矛盾
    時間と空間の無限分割性を認めると、運動することが不可能なことを導いた。
    「アキレスの歩みがどんなに速く、亀の動きがどんなに遅くとも、アキレスは
   少し先に出発した亀を決して追い抜くことはできない」というものである。
    その理由は、アキレスが亀の出発点についたときには、亀は少し先に進んでお
   り、アキレスが再び亀がいた場所に着いたときには、亀はまた少し先にいる。
    アキレスと亀の追いかけっこは、時間と空間を少し先、少し先と切りながら進
   んでいくのだから、時間と空間の無限分割可能性を認める限りいつまでも果てし
   なく続けられる。よって、アキレスは亀を決して追い抜くことはできない。
ゼノンとその逆理とは
  ② 飛んでいる矢 - 連続的に近づいていくと考えた場合の矛盾
    時間と空間の分割可能性を認め、さらに時間は究極の単位である「瞬間」から
   なり、空間もまた究極の単位である「点」からなるとしても、運動することは不
   可能なことを導きました。
    「飛んでいる矢を考えたとき、ある究極的な時間の単位である瞬間を考えれば、
   矢はそのとき止まっている。次の瞬間においても止まっている。よって、時間は
   瞬間からなる以上、矢はつねに止まっていなければならない」というものです。
    その理由は、矢がある瞬間から次の瞬間へ少しでも飛んだと仮定すると、空間
   における矢の占める位置が少し移動する。最初の瞬間と次の瞬間との矢の先端の
   占めるつの地点の間は無数に分割可能だから、そこには多くの点が存在する。
    しかし、それらの点を通る究極の時間の単位である瞬間は存在しない。
    よって、矢が飛んだという仮定は否定されなければならなくなるのです。
   この逆理は、時間と空間をどうとらえるかという認識の根元に関わるものだった
  ため、長い間「哲学」の問題と考えられ、議論されてきました。
   線分をどれだけ分割していくと点に到達するのか、そこには「無限」というもの
  が横たわっています。私たちはこれを理念の世界では認識しています。
   ゼノンの逆理は、正しくこの点に関わっているのです。
   数学の世界では時間と空間は実数によって測られます。そのため、時間と空間の
  もつ連続性は、実数のもつ連続性を通して言い表されることになるのです。
  ゼノンの逆理として有名のものとしては、この他に次のつがあります。
  論議が無限に繰り返すことと時間が無限にかかることの混同によるものと、単位に
 分割不可能な連続という概念が無視されていることによるパラドックスという点では
 同じものです。
  ・二分法
   つの点の間を移動するには、その間を二分する点を通過しなければならない。
   その二分点を通過するためには、始点とその二分点の間を二分する点を通過しな
   ければならない。同様に、無限の二分点を通過することになり、有限の時間内に
   その無限個の点を通過することはできない。
   したがって、点間の移動は不可能です。
  ・競技場
   競技場にはつの馬車があり、観客の前を逆方向に通り過ぎる。
   いずれの馬車も一瞬のうちには単位しか移動しない。
   しかし、一方の馬車から他方の馬車を見ると、一瞬のうちに単位移動している。
   これは不可能です。
  以上の議論を、当時は「無限」に対する人々の理解が不十分だったとして考えるより、
 「無限」や「連続」に対する理解の必要性を示唆するような議論をゼノンが行ったと
 考えるべきでしょう。
  まず、実数全体が数直線を作り、四則演算が自由に行えることを前提にします。
  その上で、次の考え方を提示します。
  ①


 ということから



はという除法の計算から と表されることを知っています。
    また、 とおいて両辺を倍 となります。
    各辺を引くと より 


と表されることも知っています。
    ∴両辺を倍して という表し方も理解できます。
  ② 直接導きます
    ①の後半と同様です。
     とおいて、両辺を倍します。 ∴ 
    各辺を引くと   ∴
    よって、 という表し方が理解できます。
  ③ 背理法を使います。
     とが異なる実数だとします。
    その差をとおくと  です。このとき、です。
    一方、このはより大きいどんな実数より小さくなければなりません。
    ∴ 
    ここで、左辺はに収束します。これを、限りなくに近づくといいます。
    よって、
    そうすると、 とが異なる実数だと仮定したことに反する
    したがって、 という表し方が理解できます。
  この事実は、どんな実数も無限小数で表すことができることを意味しています。
  循環小数や循環しない小数はもともと無限小数でした。
  有限小数を無限小数の形で表すことができるということがいいたいことなのです。
  数学Ⅱ「微分法と積分法」の「関数の極限」では、は限りなくに近づくが等しく
 はない と勉強します。これから考えると は矛盾です。
  一体どちらが正しいのでしょう。これは、「関数の極限」と「級数の極限」の混同に
 よるためです。級数の極限では収束する場合は一つの値をもつことが前提になります。
   を数としてみるのではなく という級数の極限として
 考えると、 


 
   






となるのです。
無限小数 は何を表しているか
  今回のレクチャーノートを作成するにあたり、有名な東京工業大学のお二人の元教授
 の、次のような著書を参考にさせてもらいました。
  著書の内容は、お二人の専門分野が代数と幾何という数学の異なる分野であるためか、
 その考え方などから、読んでいて非常に対称的で面白かったです。
  機会があれば、皆さんにも是非とも読んで欲しい著書です。
  何を得ようとするかで、どちらの著書を読むかは決まりますが、私なりの印象として
 は、読みやすさとダイナミックな動きを知るという点では、志賀先生の本を薦めます。
  数学の基礎理論を押さえて積み重なていくという点では、遠山先生の本を薦めます。
 ① 遠山啓著「無限と連続」岩波新書
  → 数論的視点に立ち、カントールの対角線論法から代数的な概念の発達を考察して
    いる。
  略歴
  年熊本県生まれ
  年 東北大学理学部数学科卒業  代数学
      海軍教授を経て
  年~東京工業大学、東京工業大学名誉教授
  著書多数、数学教育協議会を設立し、「水道方式」などの数学教育法を確立した。
 ② 志賀浩二著「無限のなかの数学」岩波新書
  → 解析的な視点に立ち、フーリエ級数を通してカントールの業績を考察している。
  略歴
  年新潟県生まれ
  年新潟大学理学部数学科卒業  幾何学
  年東京大学理学部数学科修士課程修了 矢野健太郎氏に師事
  年~東京工業大学、東京工業大学名誉教授
  年桐蔭学園中等教育学校数学科教科書執筆・授業指導教官
  年退職 期生~期生が指導を受ける
  数学専門書・指導書・啓蒙書等の著書が多数ある。
  日本で初の大学以上の数学教育における啓蒙書・参考書を執筆した第一人者です。
  以下では、志賀浩二著「無限のなかの数学」の中から、私が特に興味深かった内容に
 ついて抜粋して、君たちに紹介します。

寄り道をさせて下さい
 志賀先生が小学校年生のときの教科書から
  今から、年以上前の日本の文部省検定教科書「尋常小学算術第六学年児童用下」
 の教科書の最後からページ目にかかれていた色々な問題で、最後から番目の問題
 問題と最後の問題問題を紹介します。




 問題
  年目に伸びた木がある。
  この木は、次の年に、
 その次の年はと、毎年前の年に
 伸びた半分の高さだけ、伸び続けていく。
  この木はどこまで伸びていくのだろうか。
  → 図を見たら、が答えになりそうだ
    ということはわかります。
    しかし、ここで大切なことは「毎年毎年」だから、無限年経っても本当に
    を超えないかということです。
  → 




 


 
 


 という無限級数を調べよという問題です。
    当然、無限級数などを今も昔も小学校で勉強するわけがありませんから、論理的
    な解法ではなく、直感やアイデアを考えさせる問題だったでしょう。
    しかし、無限の和を求めよという本質的な問題です。
 問題
  図のようなマークが、当時の算術の教科書
 すべてに載せられていました。
  最初の直角二等辺三角形の辺の半分を新しい
 直角三角形の辺の長さにした直角二等辺三角形
 を次々ととっていく。
  この三角形の面積の和を求めなさい。
  → これは、同心円的に同じものがつでて
    くるので、後で倍すればよいでしょう。
  →   
   


   


   


   

 という無限級数の問題です。
    予式




 


 
 


 問題
    ちなみにこの答えはいくつになるのでしょうね。小学年生になって考えよう。
  こういう問題こそ、数学の問題といえるのでしょうか。答えでなく思考過程が問題に
 されています。今の時代にあって欲しい問題ですね。
 塵も積もれば山となる塵の大きさは
  わずかな量であっても無限回「加え」ていくと創造も絶する量になる場合は、自然に
 理解できそうです。
  のつの問題は見方を変えると、この塵の大きさを表していると考えられます。
  




 
 


 




 
 


 より、
 塵の大きさが





ならば、塵がつもっても山となるほどの量にはなりません。
  それでは、





 


 とするとどうでしょうか。


















































 











 








  ∴























 

















  以下同様に考えると
  





 





  ここで、回数を無限にするとはどんどん大きくなっていきます。
  よって、


   ∴





 


 
  すなわち、塵が


のレベルだと山となります。
  そうすると限界はどれ位なのか。上の例から考えると


のレベルなんでしょうか。
  さて、  

 


 
 

 
 と、問題ではどちらが大きいのでしょうか。
  これは、上の考え方を応用すれがすぐわかりますから、考えてみて下さい。
  証明はいつかどこかでということで、
  結果だけ紹介すると   

 


 
 

 
 
 

となります。
  左辺が正方形の面積と考えると右辺は半径 

の円の面積でしょうか。
  どちらも対称図形より、辺の長さと円周の長さの関係式とみることもできます。
  知っていました。でも微分積分的にいえば、無限は曲線の直線近似だから当然なのか。
  これを一般化したのは、オイラーでゼータ関数と呼ばれるものです。
  








 

 
   で値をもつ、で発散
  ヒルベルト・ホテルは、無限個の部屋をもっています。
  もう少し正確にいうと、このホテルには自然数  と同じだけの部屋が
 あり、各部屋にはから順番に番号がふってあります。
  ある日、ヒルベルト・ホテルは満室になっていました。
  そこに人の客が泊りに来ました。普通なら、「満室ですのでお泊めできません」と
 断るのですが、支配人はその客を泊めてしまうのです。
  このとき、支配人がとった方法を考えてみてください。
 答
  号室の客に号室に移ってもらいます。同じく号室の客は号室へ、号室の客
  は号室へ……という風に、宿泊客全員に一斉に次の部屋に移ってもらったのです。
  そうすると号室が空きますから、そこに新たな客を泊めたのです。
  これは、有限の部屋しかない普通のホテルでも可能です。
  例えば、部屋しかないホテルに人の客がやってきたとします。
  まず最初に最後に来た客に一時的に号室に入ってもらいます。
  次に最初に来た客を号室に入れます。すると号室には人が入っていることに
  なります。その状態のままで番目の客は号室、番目の客は号室…番目
  の客は号室に入ってもらいます。
  すると、号室が空いているので、号室にいた番目の客をそこに移動させます。
  これで、全員が宿泊できたことになります。
  どこが問題なのでしょうか。 → 番目の客が呼ばれていない。
  満員御礼のヒルベルト・ホテルに、ホテルの部屋数と同じ人数の客が新たにやって
  きました。これらの客を泊めるため、支配人はどうしたでしょうか。
 答
  号室の客を号室に、号室にいた客を号室に、号室にいた客を号室に、…
  というように、自分の部屋の番号の倍の番号の部屋に客を移動させます。
  この結果、…の奇数番号の部屋が空くので、ここに新たな客を泊めるのです。
 独り言
  無限にを加えても無限です。無限を倍しても無限です。
  以下は、ヒルベルト・ホテルの支配人がつけている「ホテル日記」からの問題です。
  「ホテル日記」では、部屋に客が入ったかどうかを○×で記録しています。
  例えば、号室客あり、号室客なし、号室客あり、……は、○×○……です。
  ところで、このようなホテル日記の記載の仕方は何パターンあるのでしょうか。
  「○○○……」、「○×○×……」、……なのですが、無限にたくさんのパターン
  があるのは間違いないのですが、あなたはヒルベルト・ホテルの部屋の数より多い
  と思いますか、少ないと思いますか。
ヒルベルト・ホテルとカントールの対角線論法
 答
  とにかく考えつくすべてのパターンを紙に書いて、ホテルの部屋の前に枚ずつ置い
  ていきました。
  例えば、号室の前には「○○○○…」、号室の前には「○×○×…」、………と
  いう具合です。
  さて、こうしてすべての部屋の前にあるパターンが描かれた紙が置かれることになり
  ました。
  もし、書き残したパターンがなければ「ホテル日記」のパターンでも、「ヒルベルト・
  ホテル」の部屋の数を超えることができなかったということになります。
  ところが絶対に書き残したパターンが存在するのです。
  それは次のような方法で確かめられます。
  号室から順に部屋を見ていきます。そして、部屋の前に置いてあるパターンの
  番目にある記号○または×と逆の記号○ならば××ならば○を書きます。
  これを無限に続けます。
  こうすると、すべての部屋を見回った後に、あるパターンが描かれたものが残ります。
  こうして得られたパターンはすでにおかれた各部屋のパターンとは異なります。
  なぜなら、番目の部屋にあるパターンの番目の記号が異なっているからです。
  部屋が無限にあるのだから、先ほど無理やり客を泊めた要領で、ホテルの適当な部屋
  に置いてしまったらどうでしょうか。
  そうしたら、改めて号室から同じ要領でパターンを作っていけばよいのです。
  つまり、「ホテル日記」のすべてのパターンは「ヒルベルト・ホテルの部屋」の個数
  より大きいことがわかるのです。
  数学的には、ヒルベルト・ホテルの部屋の個数という無限の大きさは、自然数、整数、
  、奇数の個数、偶数の個数、有理数の個数と同じレベルアレフなのです。
  それに対してホテル日記のパターンの個数という無限の大きさは実数の個数と同じ
  レベルアレフなのです。

  アレフより大きい無限はあるのだろうか。
  ある状態の宇宙のある点を指定したとき、そこに原子があるかないかが決まります。
  だから、宇宙空間の各点ごとに原子があるかないかを決めていけば、とりあえず宇宙
  の「状態」の一つが決まります。
  このように考えた「宇宙の状態の数」は、「宇宙の点の個数」とどちらが大きいのか。
 答
  「宇宙の状態の個数」の方が多い。
  の後にが個続く「恒河沙こうがしゃ」という数があります。
  一説によれば、この数はガンジス川の砂の粒粒にまたガンジス川が流れていたと
  したとして、その膨大なガンジス川の砂をすべて集めた個数であるといわれています。
  これと同様に、宇宙の点点すべてに、また宇宙があると想像してください。
  宇宙のある点を拡大すると、その中にまた宇宙が見えるという状況です。
  別の点を観察すると、また別の姿の宇宙が見えてきます。正しく恒河沙宇宙です。
  このとき、「宇宙の状態」のあり得るパターンすべてが、恒河沙宇宙のどこかの点の
  上に観察できるというようにできるだろうか。
  実は、これはヒルベルト・ホテルの客が「原子」になっただけです。
  ということは、証明もまったく同じです。
  恒河沙宇宙のある点を拡大したら、ある状態の宇宙が見えてきたとします。
  その見えてきた宇宙の点に原子があったときは、手元の宇宙の点には原子
  を置かないことにします。
  逆に、見えてきた宇宙の点に原子がないときは、手元の宇宙の点に原子を
  置くことにします。このようにして手元に新しくできた宇宙の状態は、恒河沙
  宇宙のどこにも見出せないはずです。
  これから、「宇宙の点の個数」より「宇宙の状態の個数」の方が大きいことがわかる。
  すなわち、実数の個数アレフより大きい無限だということがわかります。
 結論
  この議論から、どんな無限より大きな無限が存在することがいえるのです。
  無限は分類されるということです。
  この議論は、世紀の数学者カントールがほぼ独力で作り上げたものです。
  「ヒルベルト・ホテルの日記」や「恒河沙宇宙」で使われたアイデアは、カントール
  の対角線論法といわれるものです。
 最後に
  カントールが無限を捉える上で、自然数との対対応という対応関係が決め手に
  なりました。君たちの学習内容からいうとに対してをただつ対応させる関数を
  一般化したもの写像といわれるものです。
  しかし、カントール自身自分が見つけた無限という概念に自信をもっていたわけでは
  ありません。彼は、フランスのハレという田舎町の大学教授として、精神病院で亡く
  なったのです。恩師であるクロネッカーの反論などが原因のつとなったのです
  しかし、無限を捉える種に使われた論理的に考えるという数学における本質的な考え
  方は、これを契機にして、世紀の数学者たちに定着していったのです。
  どんな無限より大きな無限が存在するならば、すべての無限を集めて集合を作り、
  その個数を数えたらどうなるのだろうか。
  このパラドックスをめぐって「数学」は大きな危機に見舞われるのですが ……。
  お時間がよろしいようで、お話の続きはいつかまたということにしましょう。
  えっどうしても早く知りたいって、君はもう数学の呪縛から離れられない体に
  なってしまったのです。自分でお調べってか
  数列の極限から関数の極限に議論を進めていくには、自然数と実数の数としての構造
 の違いを乗り越えなければなりません。
  私たちが既に学んだ「数列の極限」には、数直前上にある無数の点をとって並べた
 ものとしての点列的な見方があります。
 点列 とは、図のように数直線上にある「点」をつつと
         図 
 取り出して番号をつけて並べたものです。

 点列全体の中で見た各点の配置や点同士の近づき方を考える上で有効な見方です。
  「関数の極限」とは、規則性を表す関係式を、実数の稠密性ちゅうみつせいを基
 に融合し、実数の連続性に基づく連続的な変化を表すグラフの追跡という観点に立つ
 ことを意味します。
  すなわち、数列の極限から関数の極限への進化は、実数の稠密性と連続性によって
 弁証法でいうアウフヘーベン止揚されることを意味するのです。
  まず最初に、実数の稠密性と連続性とは何かを数の構造的側面から考えるための重要
 な背景となるアルキメデスの原理についてまとめましょう。
 アルキメデスの原理
 ①自然数の定義   ペアノの公理
  ・は自然数である。        ・自然数の後者は自然数である。
  ・はどんな自然数の後者でもない。
  ・つの自然数の後者が等しいとき、元の自然数は等しい。
  ・数学的帰納法が成り立つ。
 ②アルキメデスの原理
  を任意の異なる実数としてとする。
  このとき、ある自然数が存在してが成り立つ。
  がどんなに小さくがどんなに大きくても、繰り返しを加えていくと
   いつかはを越えるという、「塵も積もれば山となる」の格言定理である。
  極限計算の基本公式




と同値である。
  証明
    )任意の実数に対して
      アルキメデスの原理よりとなる自然数が存在する。
      このとき、ならば





より





    )


に対して、ある自然数が存在して
      ならば





が成り立つから 
数列の極限から関数の極限へ                -数のアウフヘーベン
 注 アルキメデスの原理が成り立たない例
   集合整数をで割った余りの集合において、
   演算◎を、でをで割った余りにより◎と定義する。
   また、一般にに対して◎◎ ◎
   とを定義する。
   任意の自然数に対して より、アルキメデスの原理は成り立たない。
 実数の稠密性
  稠密性ちゅうみつせいとは、数の集合の性質で、数直線上のどんな小さい狭い
 区間をとっても、その中に無数の数が存在するという性質をいいます。
  私たちが扱う数の中で、稠密性をもつ数は有理数・無理数・実数です。
  アルキメデスの原理が背景となり、次の重要な性質が導かれます。
 ①実数における有理数の稠密性
    を任意の異なるつの実数として、とする。
    このとき、となる有理数が存在する。
  証明
    と仮定しても一般性は失わない。
    よりを満たす自然数が存在する。
    また、より を満たす自然数 が存在する。
    そこで、集合 を考える。
    この集合の要素のうちで最小なものをとおく。ただし、は自然数。
    アのとき
     も自然数より が成り立つ。
     ∵とするとが集合の最小な要素であることに反する。
    イ、のとき
     集合の定義より、からが成り立つ。
    ア、イから、任意の自然数についてが成り立つ。
    ここでを式変形すると 






    ∴有理数


はを満たす。              
 ②実数の稠密性
    を任意の異なるつの実数として、とする。
    このとき、となる実数が存在する。
  証明
    


とおくと、である。              
 実数の連続性完備性
  連続性完備性とは、数の集合の性質で、数直線上のどんな小さい区間をとっても、
 その中に無数の数が存在するという性質である。
  実数と有理数の数の集合に共通する性質「大小の比較ができること」に着目する。
  まず、有理数の集合の中からつの数を選び出し、その数を境界にするとこれより
 大きい有理数からなる集合とこれより小さい有理数からなる集合ができる。
  これから、有理数全体は、境界の数で「小さい数の集合」と「大きい数の集合」の
 つに切断される。
  境界となる数を有理数でなく無理数 としても、有理数全体は より小さい数
 の集合と大きい数の集合のつに切断される。
  通りの切断のうち後者は、有理数以外の数で有理数全体の切断を行っている。
  これから、有理数全体には「隙間がある」よそ者に割り込まれる余地があることが
 わかる。これが、「連続」という言葉のもつ意味なのである。
  では、どうしたら完璧に連続した数の集合を作ることができるのか。
  有理数の集合に、有理数でない切断を与える無理数 を加えた新しい数の集合を
 作ればよいのである。
  これを無限に繰り返すことで、その数の集合の中で切断が行われるような数の集合
 を作ることができる。これが、実数のもつ連続性完備性の意味なのである。
  「順序関係の決まるすべての数からなる集合」の存在を認めよう。そして、それを
 実数の集合と呼ぼうというのが、「実数の連続性の公理」の意味なのである。
  私たちにとり、連続性完備性をもつ数は、「実数」しかない。
  実数のこの性質は、「連続」というよりもすべての順序のある数を完全に尽くして
 いる集合ということから、「完備」、「完全」という言い方がふさわしい。
  ここで、 以外の無理数の切断を無限に繰り返し、実数の集合を作っていく手法
 では、一体いつになったら実数の集合に到達できるのかという本質的な疑問が残る。
  これについて、次の「デデキントの切断」を考える。
 デデキントの切断
   順序のある数の集合を、次の条件を満たすつの集合に分類する。
   ⅰ      ⅱ 
   このとき、つの集合の組をデデキントの切断という。
 注 ⅰの意味は、集合の要素は、必ず集合のどちらか一方に属すること。
   この切断には、次のつの形が存在する。
   ①に最大元があり、に最小元がない。
   ②に最大元がなく、に最小元がある。
   ③に最大元があり、に最小元がある。
   ④に最大元がなく、に最小元がない。
デデキントの切断
   デデキントの切断について、具体的にその考え方を見てみよう。
  例  ア イで、ⅰを満たすア、イを考える。
    集合が整数の場合
     ・となる整数による切断 → ③の形
       ア イの形
      アイ最小元最大元から 不適
      アイ最小元最大元から、切断は③
      アイ最小元最大元から、切断は③
      アイ最小元最大元から 不適
     ・となる整数による切断 → ③の形
       ア イの形
           
  
 
  
 
  
 
  
 
      どれも最大元最小元から、③の形の切断である。
     以上から、整数の場合の切断は③の形である。
    集合が有理数の場合
     ・


となる有理数による切断 → ④の形
       ア イの形
      ア


イ


最小元


最大元


から 不適
      ア


イ


最小元


最大元なしから、切断は①
      ア


イ


最小元なし、最大元


から、切断は②
      ア


イ


最小元なし、最大元なしから、切断は④
     ・  となる有理数による切断 → ④の形
       ア イの形

  
有理数の最大元・最小元
           のとき
     最大元なし、最小元なしから、切断は④の形
     以上から、有理数の場合の切断は①、②、④の形である。
    集合が実数の場合
     この場合の切断の形は、次の場合のいずれか一方である。
     ①に最大元があり、に最小元がない。
     ②に最大元がなく、に最小元がある。
     これにより、切断に対応する元最小元または最大元がただつ定まる。
     これを「デデキントの定理」という。
  この方法による「実数の定義」は、前述したように「実数の連続性」と同値である。
 注 「デデキントの切断」について、岩波文庫「数について -連続性と数の本質」
   が古典的名著です。私も大学時代必死に読みました。難しいけど、興味のある人は
   読んでみるとよいでしょう。
  この後、延々とこの手の論証を続けても、今の君たちにとってはあまり意味がない。
  そこで、実数の集合を考えることが何故、解析学において大切なのかを考える。
 例 関数   において、導関数    より



…  …  …
-  +  -
    


  
 
 
 

   増減表
   この関数の定義域が実数であれば極値をもち、有理数であれば極値をもたない。
   グラフの図は隙間をかけないため、稠密性から実数、有理数いずれも同じとなる。
   図示できることとある数が存在することは直接関係なく、存在証明にはならない。
  上の例では、無理数 は代数方程式   の解となっていた。
  一方、代数方程式の解とならない超越数 と呼ばれる無理数も存在する。
  無理数とは、いかなる方法でも最後の桁まできちんと数値を書き表すことが不可能
 な「巡回しない無限小数」だが、解析学における「実数の連続性」とは、その近づい
 ていく「行き先」を実在する数として「認める」ことと同値なのである。
  金融商品の利息は、基本的に年当たりで表示される。例えば、年利%という
 と、年後に%の利息がもらえるということである。
  これでは、待つ期間が長すぎるので半年ごとに利息をつける半年複利の方法を選択
 したとする。このとき、年率換算での支払い利息が年利%と同じになるよう半年
 の利息を決定するためには、半年後の利息をとして 倍
 を解いて、 つまり、半年後の利息を%とすればよい。
  ところが、年の半分だから%


として利子を半分にして年回払う、利子
 を


として年回払う、……という計算を続けて、利息の元金への繰り入れを頻繁
 にすれば、利払い額はいくらでも膨らんでいくのだろうか。
  すなわち、利払い頻度を無限大にしたとき、利息は無限大になるのだろうか。
  


年複利の方法による年後の残高は
  


で与えられる。
  よって、このを無限に大きくしたときの
  


の行き先を考える。
  ここで 
  


とすると、無限数列は   より
 単調増加数列であることがわかる。
  また、 であることも容易に証明できる。
  ∴
  


は、としたとき、との間のある数に限りなく近づいていく
    と考えるのは自然である。
  すなわち、このとき近づいていく数がネピアの数自然対数の底
 なのである。
  よって


  


と定義することができる。
  このように、解析学における「実数の連続性」とは、その近づいていく「行き先」
 を実在する数として「認める」ということと同等なのである。
  有名な論法を含めたこれ以上の紹介は、今の君たちが学習すべき事柄からは
 大きく逸脱してしまう内容となる。
  そのため、ここまでの紹介で打ち止めとするが、実際に関数の極限を学習していく
 と、計算上は数列の極限と類似な扱いをする場面があちこちで出現する。
  ここで理解して欲しいのは、その扱い方がほとんど同様であったとしても、数列の
 極限に対して、実数を基に組み立てられる関数の極限とは根本的な違いがあるという
 点である。
  それは、数列の極限の中で勉強した無限級数、すなわち無限和と有限和の根本的な
 違いに似た、本質的なレベルの相違である。
  そして、その相違を理解するためには「実数の完備性」についての理解が必要なの
 である。これは、理系の諸君が大学入学後に学習する第1番目の学習ポイントになる。
 ア、ライプニッツの誤謬
   かの有名なライプニッツでさえ、無限級数 の和に関して
     のときに成り立つ等式

  
       において
   を代入して

  
      
   よって、 


と考えていた。
   もちろん、ライプニッツほどでない私たちの間違え方としては
      
   あるいは、偶数だったらで、奇数だったらといいたいけど、無限の先にある
  偶数や奇数という区別はあるのかな。
 イ、デリィクレは、次のような無限級数の性質を発見しました。
  無限級数 














  について不思議な事実があります。
   ・奇数項の和 





  発散
   ・偶数項の和 








  発散 だから、普通に考えると
    発散となるのだが、この無限級数は発散しない。
    → 全体の和 無限級数 














  
   ・無限級数では「和をとる順番」を変えると、その和が異なってしまうのです。
    例えば、の場合は 

















 


 
  これは、「無限個の和」と「有限個の和」との本質的な違いによることが原因です。
  計算四則演算をする時に、加法、減法、乗法、除法の計算規則を決めるだけでなく、
  それらをスムーズに計算するための法則が重要な役割を果たします。
   それが、交換法則、結合法則、分配法則のつなのです。
   分配法則は、加法と乗法の間を関係づける法則で因数分解や展開で使われます。
   交換法則は、成り立たない例として、減法や学習指導要領から外さ
  れた「行列」の計算などでは、私たちが当然成立すると考えたことが否定されます。
   また、加える順番を問わないという、和に関する「結合法則」も当然のように成り
  立つと考えられている法則ですが、それは有限の世界だけで無限の世界、無限個の和
  無限級数では、結合法則は成り立ちません。
   結合法則は、どのつを先に足しても結果は
  変わらないことを保障している法則です。ところが、 と左側から順番に
  つつの和をとる形で和が定義されていたことを思い出してください。これが和が
  意味をもつ有限個の和に対して、形式的な和として定義された無限個の和の意味が、
  決定的に違う理由です。
無限に「和?」をとることの意味
無限個の和で結合法則が成り立たない理由
   一番最後の項を特定できないから、たす順番を変えたものが同じにはならない。
   有限個のときは何個あっても
    ○  ○ だが
  無限個の和 ○  では、
   最初にを計算して後で順に ○  と加えたものと、最初
   に○ を計算して後で   と加えたものでは、等しいかどうかを調
   べられないから、結合法則は成り立ちません。
   これこそが、無限個の和の計算を考えるときのポイントです。
   すなわち、無限個の和の計算では、各項の配置の順番を変えること、すなわち和を
  とる順番は必ず左側から順番に行うことが必要なのです。
無限級数の収束・発散の計算上の注意
  無限級数の和を求める計算は、前述したように一筋縄ではいかないものばかりだが、
 ここでは、よく使われる手法について考えてみる。
 例題 次の無限級数の収束、発散を調べよ。


















 
 考え方1
  一般項の極限を使って、無限級数の極限を判定する。
  定理

   ならば、無限級数


は発散する。
  第項が偶数番目か奇数番目かで異なる点に注意すると
  






 



  










  よって、いずれにしても

   がいえるから、この無限級数は発散する。
 考え方2
  部分和に関して次の定理を使うことができる。
  定理 周期をもつ無限級数において
     ・周期に基づくそれぞれの部分和の極限がともに同じ値に収束する
      → 無限級数はその値に収束する。
     ・それ以外の場合 → 無限級数は発散する。
  第項までの部分和を とする。
  











 











  →


 



  







   


 
  








  →


 









  以上より、



から、この無限級数は発散する。
命題の定義
  私たちが勉強した教科書「数学A」では、「命題」は次のように定義されている。
  式や文章で表わされた事柄で、正しいか正しくないかが明確に決まるものを「命題」
 といい、命題がつねに正しいことを「真」、正しくないことを「偽」という。
  命題は、「何について述べるか」という主部と、「述べた内容」の述部からなる。
 例 ・「は奇数である」は、命題である。
     このとき、「」が主部で、「奇数である」が述部である。
   ・「は美しい」は、「美しい」が主観的なものだから、命題ではない。
  「実数は奇数である」は、のとる値で真偽が変わるため、命題ではない。
  しかし、に適当な数値を入れたものは、真偽の判定ができるので命題である。
 例 ・のとき 命題「は奇数である」は、常に成り立つので真である。
・のとき 命題「は奇数である」は、偶数なので偽である。
  主部を適当な文字に置き換えたものは命題ではなく、その文字の「条件」である。
 例 「は奇数である」は命題だが、「実数は奇数である」の述部の「奇数である」
    の部分は、文字の条件を表わしている。
単純命題と複号命題
  命題には、「は奇数である」のように、事実を主部と述部にわけて述べた断定型
 の「単純命題」と、「」という形をした推論型の「複合命題」のつがある。
 例 単純命題「は奇数である」は、「」が主部で、「奇数である」が述部である。
   複合命題「がであるは奇数である」において、
   「がである」「は奇数である」で表わされるは条件である。
  単純命題は複合命題に書き直せるので、教科書などでは後者の形で説明している。
  複合命題「」において、条件を「仮定」、条件を「結論」という。
  数学の問題では、複合命題の真偽の決定問題、あるいは条件が真となるような変数
 の値の決定問題のいずれかであるといってよい。
  数学における問題解決の第一歩は、どのような条件が成立するか仮定するとき、
 結論何を決定しなければならないのかという構造を明確に捉えることである。
命題とその論証
排中律と背理法
  一般にある命題とその否定  について、次の「排中律」が成り立つ。
  「命題およびその否定  のいずれか一方が真であり、他方は偽である。
   それは確定する」
  命題と否定のいずれかが成り立ち、いずれでもない場合や第三の結論はないことを
 意味している。現代数学は、この排中律を公理として認めて建設されているのである。
  これから、「背理法」という論証方法が可能になるのである。
  いずれにしても、真か偽以外にないのだから、真であることを示すか、反例をあげ
 て成り立たないことを示すか、いずれかをすればよいのである。
  が「…である」の形の条件のとき、「…でない」の形の条件をの否定  という。
命題




 
対偶
逆 

  これを基に、複合命題「」に対して、
 命題「」「   」「   」を
 作ることができる。
  これらを、それぞれもとの命題の「逆」「裏」
 「対偶」の命題という。対偶の真偽は一致する。
  また、複合命題「」が真であるとき、はであるための十分条件といい、
 逆の命題「」が真であるとき、はであるための必要条件という。
  両方の命題が真のとき、はであるための必要十分条件といい、つの条件と
 は同値であるという。


  次に、複合命題「」の否定を考える。
  そのために、命題「」が真であることの意味を考えよう。
  条件を真理集合で表したものをとする。
  このとき、命題「」が真であるとは、
  仮定条件の集合の要素全体が、結論の条件の集合に属していればよいから、
 集合が集合の部分集合となっていることである。
  よって、命題が真であることとは同値である。
 
  また、とは、右の図の塗りつぶし部がないことから、 
 …が成り立つことと同じである。
  ここで、の両辺の補集合をとると より、
 ド・モルガンの法則から  である。
  ∴と  は同値であることがわかる。
  よって、複合命題「」が真であるとは、 であること。
  ここで命題が真を表す  の意味は、全体が「でないか、または」
 である。
  以上から、この命題の否定は「である、かつでない」…であり、これは
 排中律から偽である。
  すなわち、命題の否定が偽であることを示せば、否定する前の命題が真であること
 を示したことになるのである。
  ここで、は、最初の命題の仮定条件を基に、結論を否定した命題である。
  これが偽であることがもとの命題が真であることと同値であるというのは、どこか
 で聞いた理屈である。
  すなわち、結論を否定して仮定を基に推論すると矛盾が起こるという「背理法」が
 これである。これが背理法による論証が、論理的に正しいことを保証するものである。
 「選択公理」とは
選択公理
バナッハ・タルスキ—の定理
  ある中身の詰まった球体を適当に有限個に分割して、それらを再び寄せ集めること
 により、元の球体と同じ大きさの球体をつ作ることができる。
  この定理がパラドックス逆理と呼ばれる理由は、「体積」に対する素朴な直観に
   反することからです。この定理が主張することが現実には起こりえないことは、
   直観的、常識的に考えると明らかです。それなのにこんなことが言えるのかは、
   実際にこの分割で現れるつつの部品には「体積」が定義できないからです。
  この定理を証明するのに必要な数学的な道具は、集合論と群論ですが、本質的な
   役割を果たしているものが集合論における「選択公理」なのです。
バナッハ・タルスキ—のパラドックス

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