志賀先生の見ていたもの    ー 概念のもつ意味

志賀先生の見ていたもの    ー 概念のもつ意味

ある日ある時の志賀先生の一言から その2
  
[数学における概念のもつ意味]

 

 志賀先生にとっての「概念」を理解する上で最もわかりやすいものは、当時京都大学教授の上野健爾先生、東北大学教授の砂田利一先生、志賀先生の3人の編著で、12人の先生方が各専門分野に関して論説した、日本評論社が1997年に創刊、隔月刊行された雑誌「数学のたのしみ」の創刊号から第12号までに掲載されたものを、「現代数学の土壌」として1冊にまとめて出版された書物だと思います。志賀先生は当時桐蔭横浜大学客員教授で巻頭の「集合」というテーマで論じています。興味のある方は、是非購入してお読みいただけると嬉しいです。


 適塾よこはま設立時から、志賀先生はやる気満々で1年目には1カ月に何度も足を運んでショートセミナーや外部からの問い合わせやコラボなどに積極的に取り組んでいただきました。そこでは「中高一貫コース」に関するお話だけでなく、現状の数学教育に何が欠けているのかそれを改善するためにどのように取り組む必要があるかなどを熱く話されておりました。また、一般の方からの問い合わせや質問等もあり、その都度適塾よこはまで集まって協議しておりました。ただ、年を追うごとに長い時間をかけて自宅から、適塾よこはままで電車や自宅に来られることが大変になり、奥様の希望もあり徐々に私または妻が車で送り迎えするようになっていきました。それまでは時々何人かでお会いして懇親会的なことも気軽に参加されていたのですが、80歳を過ぎてからは来ていただくというより、私の家族が自宅にお邪魔して何時間も話し込むスタイルが多くなりました。そのきっかけになったのは、私と今も一緒に例会を運営しているHM氏が志賀先生を囲んで塾の近くでお酒を飲みながら懇談した時、突然志賀先生から「とうとう数学から概念がなくなってしまったね。無限を考える前にコンピュータがあっという間に無限と思われる表象を見せてことにより、概念がなくても無限の姿らしいものを感じることができるようになった。」そんな時代になったんですね。私が、数学関係の本を書いていた30年前は概念が数学でものを考えるときの中心であり、その世界でいろいろなことを考え、執筆できた本当に考えることを楽しめた良い時代だったと思います。その概念が今や失くなってしまったんですよ。」と私たち二人に一心に話されました。その言葉の中に隠された、志賀先生の数学に対する深い想いの何万分の一も理解できなかったことを亡くなられた今悔やんでおります。というのは、私と妻が送っていきますという言葉に対して、全然大丈夫だからと固辞されて地下鉄と電車を乗り継いで帰られました。その日に奥様から大変なお叱りを受けました。それ以後は、1月に1.2度の電話と私がお宅にお邪魔して延々と何時間も志賀先生にお話をしていただくことになりました。それ以降の私は「志賀先生が話された中にあった概念とは一体何だったのだろうか」を考える日々が続きました。それから改めて志賀先生の著書を読み直す(内容が理解できる範囲で、疑問があればHM氏と議論したり、山形県酒田市の大学の優秀な後輩のOS君の力を借りたり、私の大学の恩師で「志賀先生は私にとって神様」だと断言するTT先生のフォローを受けたり)などを始めました。
 そういう中で、「無限は、カント―ルの切り開いた無限の世界(選択公理) ⇒ ポーランド学派のバナッハ・タルスキ―のパラドックス」のもつ意味を「志賀先生はなぜそれを中心に据え、無限がわからなくなって私は大学を辞めたんです。と話されたかの真意の理解する(その1参照)こと」と「数学から概念が失くなったんですよと志賀先生に言わしめた言葉の意味を理解すること」、そして、「中高一貫数学コース1~5および、数学を楽しむ1~5を執筆して、その実践教育をご自分が先頭に立って行ったこと」の根底にあった、現状の日本の数学教育に対する危機感と学ぶことを通して楽しく感じる・面白さを感じる自律的な学習の柱となる「知的好奇心の喚起」の3つ事柄に対しての議論の場として、その1ー無限 , その2-概念 , その3-知的好奇心を設けました。
 しばらくは、例会での議論やネットニュース、実際に生徒を指導している者の一人として話題を提示します。これらに対する賛否両論やアイデア、質問等を中心に進めていきます。ご遠慮なくご参加ください。

 

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