志賀先生の数学教育 ーその2

志賀先生の数学教育 ーその2

 志賀先生が数学教育を考える上で大切にしたことは、「若者の知的好奇心を喚起をすることで、疑問をもつことやそれを解決するための考える力などを獲得するための自律的な学習を育てる」ことでした。
 東京工業大学を早期退職された後、桐蔭学園理事長で幼小中高大の各校長を兼務していた故鵜川昇氏に桐蔭横浜大学工学部教授を委嘱され、各種啓蒙書の執筆と並行して大学生に数学の授業を行っていました。当時の鵜川氏の考えていたことは推測でしかありませんが、最盛期の東大合格者数100人余の合格者が半減以下(30人余)にまで減少していた状況の改善だと思われます。また、文部省の各種委員等を委嘱されていたこともあり、まったく新しい6年制の中等教育学校制度が平成13年度から設置認可されることを予測されていたと思われます。それが志賀先生の桐蔭学園への誘いにつながったのでしょう。いずれにしろ、中等教育学校設置申請の1年前には、鵜川昇氏と志賀先生が協議され、桐蔭学園中等教育学校の教育課程や授業用教科書・参考書を執筆することになりました。こうして、志賀先生の考える数学教育実践の場が与えられることになったのです。
 ただ、鵜川昇氏が考える最優先課題である東大合格者数の復活への補償措置として、上位進学校で使われていた「Aコースの数学」を柱にした「桐蔭の数学」を教科書にした灘高校元教諭の多賀谷氏の考えに基づいたコースとの2コース制(各2クラス計4クラス)でスタートすることになりました。私が志賀先生と一緒に初めて関わったのは、桐蔭学園中等教育学校の1年目の途中からです。ただ、それ以前の平成13年度から平成16年度までの期間は、本当にいつ寝たのかも分からない毎日でした(詳細は第2ページ「志賀先生と私」参照)。
 

 志賀先生のクラス(イニシャルからSクラス)の授業は、教科書「中高一貫数学コース1年」、参考書「中高一貫数学コース1年を楽しむ」で教科書・参考書ともAコース・Bコースの2分野(下の教科書を参照)に振り分けられ、初年度は、Aコースを志賀先生(途中で私も参加)、BコースをTさんが担当しました。私は年度途中のため志賀先生の授業のフォローと巡回指導等を担当しました。また、Bコース担当のTさんとの協議や調整なども行いました。
 (注) 当時桐蔭学園では、鵜川理事長の方針で「先生」という呼称は使わず「さん」という言い方をしていました。私は、会議の場で〇〇先生といって何度も理事長に注意されたことを覚えています。
 私が、志賀先生の授業される姿を見ていて特に印象的だったことは、まずその分野の全体像があることです。「出発点:どうしてこういうことを考えるか ⇒ なぜこのように考えるのか ⇒ 学んだことがどのような広がりをもっていくのか:到達点」、このことを柱にして、いくつかの考え方を提示する中で生徒からの質問や意見を誘い、それをまとめる中で誤謬につながる場合を例示して説明するのです。興味をもって考えようとする生徒にとっては、論理展開の仕方がものすごく理解しやすい方法だったと思います。反面、解くことを最優先したい生徒から見ると、まだるっこく感じられ「前置きはいらない、解けたらそれで終わり」のストレートな形を求めていたと感じました(特にパターン学習慣れの生徒程そうでした)。
 1つの例として、Aコースで初めて学ぶ「四則演算と分配法則・交換法則・結合法則」をしていた当時、よくいわれたことは「その働きや意味などより、その使い方を指導すべきだ」という受験力という観点からの否定的な意見がが多く寄せられました。しかし、この教科書で問うているのは、問題を解くための力以上に、考える力をどう育てていくのかということでした。すなわち、教わる教師側の学習観を優先して生徒の考え方をコントロールするような教える側のある種独善的な教育観を払しょくし、一定の厳密性を犠牲にしてでも生徒の側に本質的な事柄に目を向けさせ自律的な学習を確立させることを大切にしたのです(私の表現力から、極論と捉えられたらご容赦ください)。
 私は、生徒が実際に数学を学ぶ上で最優先するべき、本質的なダイナミズムを内包した教科書だと今でも思っています。
 それは、
微分・積分の分野の学習指導を通して、この教科書の意図を考えてみるとわかりやすいでしょう。現行の高校2年の教科書での微分・積分分野の扱いは、微分と積分の本来的な理解は後回し(高校3年)にされ、後で必要になるからとりあえずこれを覚えなさい的に、微分を使わずにイメージできる整関数、それも4次関数レベルまでの内容でまとめられます。この形で扱われていることと「中高一貫数学コース 3年」および「楽しむ」の記述を比べれば言いたいことがわかっていただけると思います。どうして微積を使わずともイメージできることをなぜわざわざ切り貼り的に学ばせるのでしょうか。中学で学ぶ2次関数の各係数の働きを勉強する部分をもう一歩踏み出すだけで、志賀先生の教科書の内容になると思います。現行の指導は、高校3年生の数学Ⅲの微分・積分(初等超越関数ー三角関数・指数関数・対数関数)の学習に集約するための「待て!」という指導です。その結果、式の意味やグラフの特性などを考える一番大切なことが、「増減表をかく」ことだけで終わってしまっています。整関数であれば、増減表がなくてもグラフの追跡ができてしまう(1次・2次関数)のにです。このように、将来のために今を犠牲にする学習ではやってみようか面白いなというダイナミズムを感じることはできません。同時に、考えるための想像力も深まらないと思うのです。また、2次関数では平方完成することで軸に関する対称性が理解され、3次関数ではある点に関する対称性やグラフの振れ幅の変動を1次の項の係数と符号の働きを通して理解できると、カルダノの定理とも関連させることができます。もちろんガロアの対称群の世界にもつながります(現代数学社「数Ⅲ方式ガロアの理論」矢ヶ部巌著をご一読)。
 学習する意味を掘り下げ、知的好奇心を喚起することを通して指導しようと考えたのが志賀先生の教科書の立場なのです。現行の教科書は、微分、積分の理論の説明のないところで無理やり微分積分を教えるのに対して、志賀先生は、無限大・無限小を考えさせるために微分・積分を教えます。本質的なことを勉強する機会をどう与えるのか、いつ与えるかに重点を置いた教科書でした。残念ながら、教える場では何を教えるかより難しくないか受験でどうかが優先され、3年間でこの試みは中止になりました。考え方の違いや現行の高校教育の中での限界?などから …。現在、新しい学習指導要領のもとで「身近なものを考える」という代名詞のもとで数学と統計学・情報学が文系的な観点で混在させられつつあります。私の中学・高校・大学時代「日本はマネをすることは上手く改良技術は秀でているが、なぜそうなるかなどの基礎的な理論から考えることが苦手だ」と諸外国から揶揄されていたことを思い出します。今、数学教育が本来追求すべきである根幹から外れてから「失われた50年」を経たという真逆の地点に立っているように思うのは私だけでしょうか。
 ところで、志賀先生の教科書には問題に対する「答」がまったく記述されていません。それは答を記述することにより、学習者が与えられた答に合わせようとしたり、答の正誤で考え方を評価したりすることをやめさせたいと考えたからです。こういう発想こそ、私たちが何かを学ぶ上で大切なことだと思いますが、如何でしょうか。
 あれから20数年が経ち、今アクティブラーニングという学習法が注目されています。この発想法こそ、すでに志賀先生の教科書に組み込まれていたものでした。 また、生徒に関数電卓を持たせて、授業中に計算させていたのも志賀先生が最初かもしれません。この観点に立てば、共通テストの統計処理分野で関数電卓を大量に発注して実施するのも真近かだと予想するのですが、本質は真逆なところにあることをお断りしておきます。

 

 

中高一貫数学コース(全11巻) の構成

A「新しい数学教科書の構想」

image190これからの数学教育についての著者の考え方を中心にして、この教科書の使い方や学び方を教える先生方と教わる生徒の皆さんへのメッセージをこめてまとめたものです。このシリーズの概説書にあたります。

B「中高一貫数学コース」(全5巻)

「数学1」~「数学5」までの全5巻で構成され、中等教育学校の6年間の数学教育のうち1年生から5年生までの教科書として執筆されました。中等6年生用の教科書がないのは、6年時にはこれまで勉強してきた数学を全体的にまとめることと、受験勉強に備えるという考え方に立っているためです。

・数学1

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Aコース
数や式、方程式の導入
Bコース
三角形の角度、ピタゴラスの定理、座標

 

・数学2

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Aコース
方程式・連立方程式・数列や級数
Bコース
関数とグラフ、グラフと方程式、三角比と三角関数

 

・数学3

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Aコース
指数関数や対数、極限の考え方、微分法の初歩
Bコース
定積分の初歩

 

・数学4

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Aコース
不定積分、微分積分の基本公式、合成関数、逆関数、高階導関数
Bコース
複素数、行列、ベクトル、空間図形

 

・数学5

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Aコース
平均値の定理、微分方程式、力学と微分方程式
Bコース
集合・順列・組合せ、確率、極座標

C「中高一貫数学コースを楽しむ」(全5巻)

教科書「数学1」~「数学5」に対応し、「数学1を楽しむ」~「数学5を楽しむ」までの全5巻で構成されています。教員にとっての指導書であり、教科書を使って学習する皆さんにとっては、教科書の内容を深める知的好奇心を満足させるものです。

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過去の記事

 

 

 

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