情報化社会と概念
浅学菲才なりに、今の数学教育について徒然なるままに考えてみました。
「無限という概念がわからなくなったことが、東工大を去るきっかけでした。」というのは、今から14年前志賀浩二先生と熱海の後楽園ホテルで、当時先生が執筆中であった「中高一貫数学コース」に対応した問題集をどうするかという議論をした時に、私の問いに対する先生の回答でした。
2年前の適塾よこはまの「開塾の集い」で突然先生がおっしゃった「情報化社会では概念は生まれない」という話をふと思い出しました。
それが、今回のブログの主題です。
情報化社会では、ビッグデータを含むデータ一般を処理するために、複雑な背景を含めてコンピュータで解析処理することにより、そこにはもはや「極限」や「無限」という概念は存在せず、実証の世界であるコンピュータの世界が広がる。すなわち、情報化社会では「概念」は生まれず、それを組み立ての核とする学問の時代は終わってしまっているといえる。デカルトやカント、バートランドラッセルなどという数理「哲学」の世界の中の代表的な学問である「哲学」という世界も情報化社会という現代的な視点から見ると一線を画すものといえる。
全体の構造をつかんでからテクノロジーを考えていた今までの考え方に対して、情報化社会の核となるコンピュータの中では全体という枠組みでなく1つ1つのことが独立して動いていることが特徴的である。学問にとっては総合的な視点が必要であるのに対して、コンピュータの世界では個々の独立した動きの中に意味をとらえるのである。言葉が過ぎるかもしれないが、今は総合的な視点がなく、これらは情報という流れの中で流れて行ってしまうものとなっている。これらのことを考えると、「これからの数学教育では何を教えたらよいのか」ということが重要な視点となる。高校で教わる「微分積分」という概念はどこでも使われなくなってしまう中で、ビッグデータを追いかけ続けることが、本当の意味での社会の進歩や私たちの行動規範、精神的な充足を与えるものとなるのでしょうか。そんなことを考えてみました。
« 直観力から論理的思考力 | 展示紹介「数理にひそむ美」 »