共通テスト         芳沢光雄教授の主張

共通テスト         芳沢光雄教授の主張

2022年02月03日(木)4:39 PM

難しすぎる」共通テスト数学が抱える根深い問題 基礎的な試験というより「処理能力を測る試験」

桜美林大学 教授 芳沢 光雄

2022/01/22 18:00

(注) 芳沢光雄教授の承諾を得て掲載しております。一部、現行の重要部を強調するような色使い、太字等を使って手を加えてあります。

 

 「大学入学共通テスト」の数学1・数学Aの平均点(中間集計)が、昨年と比べて20点ほど低く、約38点であったことが注目されている。難しい試験を行えば結果が悪くなることは当然であるが、問題量の多い試験を短時間で行うことは、一般的には処理能力を測ることが目的のように思われるかもしれない。

 実際、大学の数学教員でも、今年の数学1・Aと同じ試験にチャレンジすると、「あと10分延長してもらえばなんとか満点」という人は少なからずいると思う。本稿では「大学入試の数学」という視点からこの問題を歴史的に考えてみたい。

(1)「大学入学共通テスト」が誕生するまで

 1979年に開始された「共通一次試験」は「基礎学力試験」で、奇問や難問を排して「受験地獄の解消」が主たる目的であった。結果は、受験地獄は解消されるどころか、国公立大学の受験生にとっては、2次試験前に全問マークシート形式の試験が課されることとなった。

 共通一次試験は1990年から、私立大学も参加できるようにした全問マークシート形式の「大学入試センター試験」に移行した。目的は、「高等学校における基礎的な学習の達成度を判定する」ことである。

 2004年5月30日の朝日新聞では、注目すべき東北大学の調査結果が紹介された。1次のセンター試験の数学と、2次の理学部入試における記述式の数学試験の成績に関して、相関が極めて弱かった。そして、当初から参加した慶応義塾大学が「センター試験利用入試」を廃止した2012年頃から、現在の「大学入学共通テスト」への移行が検討され始めたようだ。

 筆者は1985年4月から2007年3月まで理学部数学科の教員として勤務し、その間に入試数学責任者も含む入試数学の仕事に使命感をもって取り組んできた。懐かしい思い出として、入試が近くなった頃、作成した入試問題の文中で「各々」とあるべきところが「名々」となっていることを夢の中で思い出し、その修正のために問題用紙を全部印刷し直してもらったこともあったほど、全神経を集中して取り組んできた。

 毎年のように入試が終わると同時に、膨大な答案を採点してきたが、その間に奇妙な答案を目にする機会が年々増えてきたもどかしい思い出が残る。それは、文字を使って一般論として解くべき答案に、0とか1などの具体的な数値を文字に代入して、答えを「当てる」試みだけをする答案である。すぐに気付いたことであるが、もし当問題がマークシート形式ならば正解となった可能性が高い問題でもあった。

 それをきっかけに筆者は「マークシート問題の裏技」を研究し(一部は読売新聞2003年5月30日付の一面記事で紹介)、さらには日本の青少年の論述力が弱いことが、国際比較や国内調査結果で明らかになったことを受け、各種メディアで、マークシート形式の問題点と記述式の意義を訴える活動を展開してきた。

 やや専門的な話題で恐縮だが、n次多項式の関数として表される高校2年までの積分の問題も、かつてのような一般の自然数nではなく現在はn≦2という学習指導要領からの制限がある。それが「積分をすることなく正解を当てる奇妙な“公式”」をいくつか生み出し、これが作問側を意外と悩ましていることもある。

 そして2021年からの「大学入学共通テスト」を迎えることになるが、当初はこの試験に記述式を一部導入する案があった。しかしこれには、断固反対したのである(共同通信47NEWSにおける2019年11月15日、11月29日、12月23日の拙文を参照)。その理由を一言で述べると、学力調査のような統計データの収集と違って、膨大すぎる大学入試記述式答案を短時間で正確に採点することには無理があった。

 さらに、一部企業が深く関わることへの疑問もあった。とくに、試験が実施される前に「正解」を一部企業に教えたり、一時的にアルバイトの大学生を雇って採点させたりすることなどは、言語道断である。そもそも、大学入試の作問側と受験産業側が一線を画すからこそ公平な入試が成り立つのであって、その境がなくなってしまっては、まるで「泥棒に合鍵を預けるようなこと」を連想されても仕方があるまい。

 結局、全問マークシート式の第1回大学入学共通テストが昨年行われ、そして冒頭で述べたような2回目の共通テストに至ったが、今回の試験を踏まえて、いくつかの点を指摘したい。

(2) 基礎的な試験というより「処理能力を測る試験」

 まず、大学入試センターのホームページに共通テストの仕組み・運営として、以下のように書かれている。

 「大学入学共通テストは、大学に入学を志願する者の高等学校段階における基礎的な学習の達成の程度を判定することを主たる目的とするものであり、各大学が、それぞれの判断と創意工夫に基づき適切に用いることにより、大学教育を受けるにふさわしい能力・意欲・適性等を多面的・総合的に評価・判定することに資するものです。」

 共通1次試験、大学入試センター試験、そして大学入学共通テストと一貫して目的に書かれていることに、「基礎的な学力試験」ということがある。今回の数学1・Aの試験問題を見る限りにおいて、「基礎的な試験」という表現が適当と思われる国民はわずかではないだろうか。むしろ、「難しい問題の答えを短時間で当てさせる処理能力を測る試験」という表現のほうに軍配が上がると考える

 数学1・Aの試験の受験者数は約35万人であるが、同世代の出生数が年間約115万人ということを踏まえると、同世代全体から見て、数学の問題にチャレンジする意識の高い約3分の1の者が数学1・数学Aの試験を受験したと考えられる。

 当てずっぽうでも正解になることもあるマークシート式試験で、その方々の平均点が約38点ということは、抜本的な見直しが必要である。受験生の世代はコロナの影響で、満足に勉学をできなかった面もあったことを忘れてはならない。数学1・Aの試験後に多くの受験生から、「難しすぎた」という意見が続出したことも、重く受け止めるべきだろう。

 もう1つ指摘したい点は、「主体的・対話的で深い学び」という学習指導要領を反映させたように思われる出題傾向である。花子と太郎ばかりが登場する会話調の問題形式は、時間が限られたマークシート形式の試験で適当かどうか検討すべきという意見もある。たとえば、昨年と比べて平均点が約17点下がって43点となった数学II・Bの試験では、歩行者と自転車の日常ではありえない動き方の問題が設定され(問題4)、花子と太郎の会話調の問題に入っている。もっとも、本質は数列の問題である。

 かつて筆者は、有名私立中学校の入試算数問題には、「実際はありえない設問形式が目立つので、それは改めたほうがよい」という趣旨の論文を算数教育の学会誌に書いたことがある。具体的には、「ある容器に偶数匹の生物Aを入れると、それらは一晩で半分の数の生物Bに変身する」とか、「濃度が50%とか70%の食塩水(100℃でも最大28.2%)」とか仮定した問題であるが、算数を身近に感じさせる問題が逆に無関係に思わせてしまうことにも配慮すべきと考え、その論文を執筆した。

 今回の数学II・Bの試験に関して言えば、初めからヒント付きの数列の問題として出題してもよかったのではないか、と考える。

(3)「花子」と「太郎」の会話形式で出題する意味

 ここで、「花子」と「太郎」がよく登場する算数・数学の問題を考えてみよう。算数では、昔から「花子さんは130円の鉛筆5本を買い、太郎君は1130円のノート2冊を買いました。代金はいくらでしょうか」というような問題が定番としてある。多くの生徒は、「また花子と太郎か」という感想をもつだろう。それでは、次の算数問題の(A)と(B)を比べてもらいたい。

 (A) 花子さんと太郎君は同じ電車に乗っています。花子さんは太郎君に、「この電車の速さはわかるかな?」と質問しました。すると太郎君は「速度計がないからわからないと思う」  
と答えました。そのとき、花子さんは「ちょっと待って。いま線路の繋ぎ目でガタンゴトンという音がしますね。これはヒントにならないの?」と質問しました。

それを聞いた太郎君は、「そうだ。1本の線路の長さを30mとすると、1回ガタンゴトンという音がする間に30m進むことになる。すると、1秒間に1回ガタンゴトンという音を聞く電車の速さは、秒速30mになる」と花子さんに伝えました。すると花子さんは、「そうね。したがって1秒間に1回ガタンゴトンという音を聞く電車の速さは、分速30×60(m)で分速1800mなので、時速は1.8×60(km)で時速108(km)となりますね」と答えた。

 (B)日本の在来線の線路の長さは、ロングレール化したところやポイントの周辺などを別にすると、1本25mです。したがって電車の中で、1秒間に1回ガタンゴトンという線路のつなぎ目で発する音を聞く電車の速さは、秒速25mになります。すなわち、この速さは分速25×60(m)で分速1500m、それゆえ時速は1.5×60(km)で時速90(km)となります。この計算方法によって実際に計算してみると、在来線の特急電車の最高速度は時速130kmぐらいになることが求められますよ。

 Aは花子さんと太郎君が登場して、会話調で楽しく進行する例。Bは、筆者が小学生相手に出前授業でよく用いる話し方だ。AとBの本質的な違いは、線路の1本の長さをAでは30mと仮定し、Bでは実際の線路の長さを用いている点である。要するに、BよりAのほうが会話という点で面白いかもしれないが、リアリティーという点でAよりBのほうがいいことがわかるだろう。

 このように、算数・数学が実際の生活に役立つことを訴える場合は、用いるデータはなるべく実際のデータを用いる問題を作るほうがいい。ちなみに、かつて某出版社の中学数学の教科書に「1本の線路が100m」という仮定の問題があった。そこで筆者は「それは不適当」と伝えて、直していただいたこともある。作問に無理をさせてまで、花子と太郎を登場させなくてもいいと考える。

 ここで冒頭に戻って考えると、現在の大学入学者数は毎年約63万人ぐらいである。今回の数学I・Aの受験者数と30万人ぐらいの開きがあるが、その30万人の多くは数学の試験を一切受けないで大学に入学する、いわゆる私大文系コースだろう。

 早稲田大学の政治経済学部が昨年から入試で数学を必須にしたことで、予想外に世間を(いい意味で)お騒がせしたのも、「私大文系は数学が不必要」という日本固有の迷信を打破する行動に舵を切ったからだ。筆者もこの件は意義があると考え、東洋経済オンラインで2回にわたってその意義を訴えた次第である。

 しかしながら、それに続く大学はなかなか現れてこないのも現実である。そこで、「%がわからない大学生」が大学に大量に在籍している現状は一向に変わらないだろう。「『数学嫌い』の人は暗記教育の犠牲者といえる理由」で訴えたように、算数力不足の大学生の問題は、学生に責任はほとんどなく、「日本の数学教育の犠牲者」の面が大きいのだ。

 

(4) 同一の試験を廃止するのも1つの手段

 要するに、小学生の頃から理解無視の暗記だけの教育が一部を除いてまん延している。だからこそ、2020年末に『AI時代に生きる数学力の鍛え方』を上梓した。最近、ニューズウィーク日本版のネット記事「『サイエンスは暗記物ではない』ノーベル賞物理学者、真鍋博士の教育論」(2022年1月14日)を拝読し、まさに“天の声”だと感激したのもそれゆえである。

 上で述べてきたことを踏まえると、行き詰まり感のある大学入学共通テストは抜本的な改革が求められているのだ。筆者としては、受験生の学力差がますます大きくなっている現実を直視して、いつまでも同一の試験を課すことは思い切って廃止し、個々の大学が期待する学生像を示すような独自の入学試験を創意工夫して設ければよいと考える。2次試験を設けるか否か、あるいは入試日程をどうするかなども、個々の大学が独自に決められる状況が望ましいはずだ。

 少子化の現在の日本で、やり方の暗記による処理能力とは異なる、長時間でも考え抜く(努力し続ける)力をもった多くの青少年が現れて、日本の将来に向けて大活躍してもらうことを、祈りつつ。



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