共通テストについて

共通テストについて

2021年02月02日(火)9:16 AM

[1] 今年度の共通テスト概観
 民間検定試験の受験の義務化、国語・数学の記述問題等での混乱もありましたが、何とか最初の共通テストが終了しました。共通テストの傾向等を、以下のようにまとめました。
 予想平均点で感じる以上に、全体的に上位層以外での得点のアンバランスが目立つ出題内容だったと感じています。
 例年に比べるとボーダー層は盤石ではありません。悲観し過ぎずに2次試験受験校を考えることもありでしょう。
 また、中1生~高2生の皆さんは3月の学年末に向け、日々の授業と併せて今年1年間の学習の総まとめが必要です。学習したことを頭の中に整理して知識を獲得することで考える力が生まれます。応用力養成には、目的をもった勉強を継続する努力が必要です。こんどは君たちの番なのです。

➀  英語はリーディングが50点⇒100点になっただけでなく、得意な生徒でも読み上げ1回の難度の高さから8割以上は困難でした。
   英語では出題の難易度以上に、いままでのセンター試験ではリスニングは枠外でしたが、今後は枠内200点満点になったことが重要な点です。
②  国語は現代文の第1問・第2問の最後の設問で、いずれも500字以上の文章が使われている点が今回の試験の特徴であり、難化の原因と考えられます。
   これは実行しようとした記述問題を取り下げたことによる、代替的な出題として考えられたものと理解できます。古文・漢文は従前どおりです。
③  数学は平均点が高かかったのは、昨年度平均点が数ⅠA 51点、数ⅡB 49点による通常の揺り戻しであり、本当に注意すべきは、数ⅠAの10分延長による問題文全体の長文化、特に陸上競
   技がテーマとなった設問内容とデータの分析の題材の多分量化(身近な題材)は、来年以降につながる象徴的な出題とみるべきです。数ⅡBは難易度を低くするため、自由な考え方を否定す
   るかのような異常なまでの誘導で、出題者の考えた枠内での解答を要求した数学とは無縁な設問形式でした。しかし、こうした傾向は問題を易しくする手法として今後も続くでしょう。
   (補足) 数学ⅠAでの試行テスト的出題が目立ちました。陸上競技の問題やデータの分析での図・表の読み取り・評価に対する慣れを要求する問題です。得点面で考えると第5問平面幾何の
      取捨などが得点に大きく影響しました。
          数学ⅡBでは、象徴的な問題として第1問三角関数を取り上げます。ここで三角関数の合成のcos版が出題されました。これは教員の授業での扱い方や理系の生徒が極方程式の扱い
      方でやったことがある設問でした。最後の設問では空欄に根号がないことから答えが予想できるというパズルのような問題もありました。とにかく、出題者の誘導に上手く乗れた
      かどうかが得点に大きく影響を与えました。
④  理科(物理・化学・生物・地学)は理系の現実的選択で考えると、物化・化生の2通りです。ここで問題となるのは「物理」と「生物」の難易度の差が合否に直接つながることです。
   この問題に関しては差が大きければ調整すればよいという考え方は否定されるべきです。特に医学部受験生で物化<化生の選択が多くなる原因になっています。医学部の女子合格者が多く
   なる1つの要因だと考えてもよいと思います。そのため、特に理系の生徒は早い段階で志望校の選択科目を調べて科目勉強の難易と併せて物化・化生の選択を決めておく必要があります。
⑤  社会については省略させていただきます。


[2] 今年度の数学共通テストについて
 私は、一昨年早稲田の文系学部で今までは数学での受験がないことが売りだったのを翻して、「文系学部の生徒といえども数学のロジックを学ぶことは重要だと考える」という考えのもと、政経学部以下共通テスト数学ⅠAを必須にしたことに賛同しています。その立場で考えたとき、今回の数学ⅠA、ⅡBの出題についての私の感想は、他の受験産業の専門家の方々とは違っています。  ⇒ 工事中です。

[3] 共通テストについて
 共通テスト制度は、慶應大学前学長を議長とする諮問機関の答申を受けたものです。その中で特筆されるのは、英語の民間検定試験を利用するという公平性が全く担保されていない試験の受験を義務付けることでした。都市部と地方の受験生の受験の公平性は言うまでもないことですが、それ以上に問題なのはそれぞれの試験の出題意図・範囲・レベルや試験内容の秘匿性がきちんと評価できるのかは重大な問題です。さらに民間業者の周辺での商業的な利用などを優先することが絶対に起こらないことをどのように担保するか、実際にそんなことが起こったら、依然あった私立医学部の入試基準による数千名レベルの問題以上の受験生数十万に関係する重大事故につながります。さらに一部でも指摘されたように、国語と数学の記述問題の採点でも起こりうる問題です。これらの点を文部科学省はどのように評価したのでしょうか。入口の時点で統一的にそうまでしなければならない客観的な理由があるのでしょうか。もっと大学のオリジナリティーを尊重することはできないのでしょうか。官僚の「もりかけ事件」やその他の国会での常識を超えた答弁を見ると、若者の一生を左右する重要な試験を、たとえ有名人といえど一部の人間の考え方だけで変更することに慎重であるべきだったと思いますが、如何でしょうか。

 

[4] 過去の大学入試について
 
過去には国立大1期校、2期校、その中間の公立大試験と3回の受験機会がありました。それが文部省、各種教育関係機関やその周辺のいろいろな思惑のもと、共通1次試験・センター試験そして共通テストという一斉試験を大前提にするという形で現在に至りました。以前の個別型試験では、受験校にはランク以上に大学の特色での選択などもあり、受験生はどこを受験するかを選ぶ楽しさと苦しさ、そして私立大学を含めた最低4回の受験機会をどのように選択するかの自由もありました。ところが、私立大学を含めて今はごく一部の難関大学を除いて、ほぼ1回の試験で合否が決まってしまいます。そのため、私立大学を中心に学部・学科ごとの試験方式の多様性(特徴は科目数減と座学以外の評価)を売りにした受験生募集が通例化しています。大学に入学してからの勉強に必要な基礎学力の有無を計る以外の基準で合否が決まるようです。それぞれの大学での学習レベルに沿った勉強ができる生徒を募集するという観点は古いのでしょうか。その割に出口の企業の欲しい人材は「即戦力」というのは、自己矛盾のように思うのですが、如何でしょう。その上で、自分の大学の入学試験問題は自分の大学で作成できることが、大学の最低基準だと思うのですが、如何でしょうか。学生を集めるための試験だから何でもありだというのはちょっと違うように思います。学校で学ぶ生徒は部品ではありません。1個の人格をもった存在ですから、いろいろな面に対応した資質を育ててあげることが必要だと思います。それを評価してあげることこそ大切なことではないのでしょうか。

 



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